秋葉神社 火祭り

秋葉神社火祭り  
平成24年3月11日(日)に、相模原市緑区与瀬地域にある秋葉神社にて火祭りが開催されます。
 
相模原市緑区与瀬西端の横橋地区に古くから伝わる行事で、横橋地区の中程、路傍にたたずむ石仏が五基、地蔵菩薩、供養塔、南無阿弥陀仏、庚申塔、二十三夜があり、明治初年に廃された、補陀洛山福寿院の門前が参道の入り口になっています。
 
山道を登ること200~300m、山頂の社は秋葉大権現(秋葉神社)の社であって、地元では昔から「あきやさま」と呼ばれています。
これは昔の村人によって静岡県浜松市の秋葉神社から勧請したものです。
     
  • 秋葉山本宮秋葉神社(秋葉神社の総本宮)
    秋葉山本宮秋葉神社の社殿の建立は和銅2年(西暦709年)元明天皇の御製によると伝えられています。
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  • 御祭神
    御祭神は火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)と申し上げ、イザナギ・イザナミ2柱の神の御子で火の主宰神です。
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  • 御神徳
    御神徳は火の幸を恵み、悪火を鎮め、諸疫病を祓い除く火防開運の神として、全国津々浦々から信仰されています。
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  • 火祭り
    秋葉山本宮秋葉神社では12月15日~16日に執り行われ、16日夜半には秘伝の弓・剣・火の3舞の神事が古式豊かに荘厳華麗に繰り広げられます。
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横橋地区の火祭りの歴史

秋葉神社の火祭り(別名:あきやさまのひでとぼし)

横橋地区で行われる火祭りでは、参道の入り口に2本の幟端(ノボリバタ)を立てます。
 
昔から火祭りには、横橋地区の人々は家毎に数本の松明を持ち寄り夜半に火を付けて道路の両側に立て並べ、火防・厄除け・家内安全を祈願していました。
夜空をこがす御神灯は毎年続けられてきました。
地域の若者によって松明をかついで山頂の社にお参りした時代もありましたが、山火事発生の危険もあることからいつしか止められてしまい、今では参道入り口付近に立て並べるようになりました。
 
昭和の末期になると家毎に、ひで(松の根の樹脂を含んだ部分)を掘り起こし松明(たいまつ)を作るのが困難になってきました。
平成元年に若葉会が結成され伝統を守るため、ひで堀りから火祭りまで手助けして現在地域の伝統行事として継承されています。
また、最近は諸事情により火祭りは17日より前の日曜日、午後7時00分点火と決められています。
 

松明(たいまつ)

松の木を伐採した根を20~30年後に残った「ひで」を掘り起し、割って乾燥させ約2mの青竹の先に挟み込み、針金で結わえて直径20~30cmの松明を80~100本作ります。
 

歴史について

横橋地区の住民が火防の神として秋葉神社を信仰した経緯は、過去に火災が多くあったためではないかと言われています。
江戸時代1826年(文政9年)4月3日横橋地区での火災の記録があります。
長老の話として横橋地区では、1848年(嘉永元年)までの13年間に3回の大火があったと言い伝えられています。
これによって火防の神としての秋葉神社は、さらに信仰が深まっていったようです。
 
1879年 明治12年2月15日付けで当時の役所、津久井郡与瀬駅戸長役場より遠州・秋葉山代参として3週間の旅行証が相模国津久井郡与瀬駅 山下佐右衛門に交付された事実が古書に残っています。
これはその昔講中があって代参が遠州秋葉神社に参詣していた事実の証拠です。
 

火祭りはいつから?

火祭りについての確かな記録はありませんが、長老の言い伝えとして明治12年生まれの人が、子供の頃の記憶に火祭りがあるので、この頃すでに火祭りが行われていたようです。
この言い伝えによって秋葉神社の勧請は明治初期以前と思われます。
戦時中の中止以外は、今なお続く火祭りです。
近年、居住者も多くなり、ひで、堀りや松明作りが困難になり、資源の松の根山野に少なくなってきたのも将来的に心配されています。
 
秋葉神社火祭り
開催日時
平成24年3月11日(日)
午後7時00分点火
場所
相模原市緑区 秋葉神社
※駐車場はございませんので予めご了承ください。

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